人気Blogなら間違いなく炎上するであろう過激なタイトルを付けてみた。別に当Blogに客が居ないから安心だろう、とかいう浅ましい考えで付けた訳ではない。正真正銘、筆者の本心として述べたかった事だ。
なぜ筆者は「選挙に行く人間は愚民だ」と思うのか? 選挙に行ったところで、貴方の一票で当落が変わるわけではないし、万が一貴方の一票で当選した政治家が出たとしても、その政治家が公約通りの行動をする保証は一切無い。貴方が必死になってマニフェストを読んで選択したとしても、その前提自体が覆ることが日常茶飯事であることは、皆さんも実感されているだろう。
つまり、貴方の貴重な時間を費やしてマニフェストを比較検討したり、選挙に足を運んだりしても、その行為は事実上無意味なのだ。
実は筆者も昔は選挙に行っていたし、そもそも株式投資をする前はバリバリの共産主義者だった。小泉の新自由主義などクソ食らえ!もっと庶民に手厚く分配する政治をしろ!と考えていた。しかし株式投資や世界経済の仕組み、そしてマスゴミや世間の民度を知るにつれ、そんなこと叫んでも無駄だと悟るようになった。
マスゴミはかつての中国やロシアなどを「共産主義国家」と定義し、99%以上の国民がそれを信じているから「共産主義などダメだ」と誤った認識で洗脳されてしまっている。しかしマルクスを学んだものなら、中国やロシアなどは真の共産主義ではないことは明白だ。
大体、
共産主義は”平等”が前提ではない。自由競争経済を前提として平等を目指す社会こそが共産主義の真の定義である。いきなり平等社会にしたら誰もが働かなくなった・・・という中国やロシアの犯した過ちなど、マルクスは19世紀から予言している。「共産主義は、資本主義の後にしか生まれない」という彼の言葉がすべてを予見している。自由に競争する社会だが、セーフティネットの充実で弱者を保護したり、労働組合や市民オンブスマンがしっかり為政者・資本家たちを監視して彼らが富を独占しないようにすることが、真の共産主義社会の姿である。
しかしそんな前提を知っている日本人は、おそらく数千人に一人いるかどうかだろう。有名なTVキャスターや政治評論家ですら、共産主義の定義をろくに知らないで否定しているのだから、一般国民の認識がどの程度なのかは察しが付くだろう。かつての東大紛争や浅間山荘事件など、エセ共産主義者の暴動だけを取り上げて「危険な奴らだ」位にしか認識されていないだろう。
だから、今の新自由主義経済はおかしい、勝ち組負け組が分かれてしまう社会などいけない、と思って選挙で共産党に一票を投じたとしても、それは死に票にしかならない。これだけ誤ったアンチ共産主義が蔓延している状況では、共産党が議席を伸ばすことなどあり得ないからだ。
筆者がこのような考え方に至る一つのきっかけが、インド最大のIT企業=インフォシス・テクノロジーズの会長であるナラヤナ・ムルティ氏の言葉である。
「
主義や思想だけでは世界は変わらない。富を創り分配できない者では世界を救えない」
実はムルティ氏もかつては共産主義者だったそうだ。しかしヨーロッパ留学で資本主義世界を体感し、インドの貧しい惨状との比較で考えを改めたという。インドの貧困を無くすためには、平等主義を叫ぶだけでは結局は貧困層は飢えたままであり、富を生み出してそれを分配することがまず第一だとの考えに至ったのだ。
このムルティ氏の言葉を知り、筆者も考えを改めた。平等主義を訴えて選挙に行き、共産党に一票を投じても、その行為は何の役にも立たないのだと。結局、自分の人生を切り開くのは自分の力であると。
実現不可能な共産主義社会を夢見ることではなく、この資本主義社会で賢く生きていくことを追求することが必要なのだと。そして資本主義社会で富を得るのは、株式投資しかないと。
だから筆者は、政治には何の期待もしていません。結局は自分の人生を良くするのは、自分の生活を守り・育てていくのは、自分の力でしかない。選挙に行くことなど、自分の人生の貴重な時間を無駄に浪費し、最終的には失望感しか生まれない、最低最悪の愚行だと。そんな暇あるなら、株式投資の勉強をするなり、家族サービスするなり、いやそれどころか、平日の激務に備えて家でごろ寝することの方が、はるかに有意義な過ごし方だろう。
「選挙になど行かない。自分の一票で結果は変わらないでしょ?」
この結論だけ見れば、他の選挙に行かない人たちと同じだが、筆者には上記のような深い考えがあっての結論です。筆者はおそらく未来永劫、選挙になど行かないだろう。嘘で塗り固められたマニフェストなぞ読む暇あるなら、中国企業の研究しますわ。
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